端境期
あけましておめでとうございます。
2006年。
世界ではフセイン大統領の高速処刑から、ロシアの高官暗殺事件、北朝鮮の核実験と、それに前後した極東アジア+米国情勢の急速な変化。
国内ではライブドア事件から、耐震偽装問題、政権交代と粛正、下世話な話では亀田問題。
違和感のある展開を見せる事象が多発する年でありました。
2007年はより多くの場面でこのような違和感を感じるはずです。
なぜなら2006年とそれ以前との間には、情報のとらえ方の変化があったからです。
一つの事柄に対して、多種多様の情報源、様々な視点が示されていきます。
今までは大手メディアの報道そのままを信用していればOKでした。
しかし、今となってはその報道も利害関係のある一つの視点でしかないということに私たちは気づき始めています。
物事にはただ一つの真実があるかもしれませんが、社会の一員である私たちはその真実をそのまま受け入れることはできません。必ず、何らかの視点を持って、事象を消化していきます。
これから、老若男女、ヨーイドンで自分の判断基準、視点を作る作業に入ります。
今までは誰かの視点によっていればOKでした。ほとんど選択肢がなかったのでそれでも世の中は回っていけたのです。
「自分を基準にして事象を判断する視点」
これをもてない人たちは、世の中に何が起こっているのか全く理解できないまま一生を終えることになります。そして世の中の下層に閉じこめられ、決してはい上がることができないでしょう。
資格を取ることはすばらしいことです。でも大事なのは「なんで資格を取るのか」なのです。
お金を稼ぐことは大切なことです。でも大事なのは「何でお金を稼ぐのか」なのです。
これから全ての思考に対してフリーにアクセスできる社会が到来します。
一見すばらしい社会ですが、考えることを放棄した人間は、一気に部品化されていく社会になるはずです。
今はその端境期。今後数年間?十数年間でいかに脳のスイッチを切り替えられるかにかかっているように思えます。
違和感を違和感のままで放置しておくのか。それとも自分で消化(昇華)していくのか・・・


