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2005年10月 アーカイブ

2005年10月02日

あたらしい言論テロリズムなのか

んーと、のまネコ問題の件なのですが、この件に関しては僕は「2ちゃんねらー」よりの意見ですが、細々とBlogやっている人たちにその影響の悪い部分が派生するのはどんなものかと。

どういう事かというと、世の中Blogブームで、有名人から無名な人までBlogを書いて自分の意見を表に出したりしているわけですが、のまネコ問題に関して「avex」よりの意見を書いた人のBlogが、2ちゃんねるでいわゆる「晒され」、2ちゃんねらーが大挙してそのBlogを訪れ、いわゆる「荒れる」「炎上する」という状態になってることってどうなのかなーと思いまして。

炎上している内容をみると、いわゆる論理的な意見を書かれている方も一部いらっしゃるようですが、ほとんどが人格攻撃というか、そんな感じのコメントばっかりなんですね。
今まで細々のほほんとBlogを運営してきた人からしたらものすごい精神的ショックを受けるでしょう。
もしかしたら、もうBlog書くのをやめちゃうかもしれません。

こういう光景はここ最近よく見かけます。多分Blogが一般化してきたせいでしょうね。
以前はネット上で個人が情報発信するにしても、「ホームページ」的なものだったので、2ちゃんねるのBBS上でそのホームページを取り上げて騒いでいました。この時点で、騒ぎは2ちゃんねるの中で完結していたわけです。
しかし、個人の情報発信がホームページからBlog的なものに移ってきた事で、当事者のサイトで騒げるようになってしまったと。

Blogは意見と意見をつなぎ、発信した意見へのダイレクトな反応が得られるツールであるので、今までの静的なホームページよりも一般の方のモチベーションを高めるのに一役買っているのでしょう。
(最近は更新のしやすさと、SEO的な優位性がある事で、企業ページにBlogシステムが使われる場合も出てきているようで。)

僕も最近Blogをよく見ますが、情報系のメジャーサイトでない限りは、まったりといい感じのコミュニティが築けているところが多いですね。そこはちょっとオープンなプライベート空間なんですよ。多分。


ネットは基本的に誰でもアクセス可能なので、全てがパブリックな環境なのかもしれませんが、情報公開する人は、現実世界においては「PCと自分」の関係なので、プライベートな領域をそのままパブリックに持ち込む傾向があるのかもしれません。
だからネットって、パブリックとプライベートな領域が、現状は非常に曖昧な状況になっているような気がします。

そんな感じで、パブリックへの敷居が非常に低いんですよね。

世の中でBlogを書いている人で、スキル(文章構成だったり、思考だったり)が低い人がほとんどでしょう。
でもなんか世の中に対していいたい事があるわけですよ。誰も聞いてくれていないとしても、パブリックにつながるところでそういう独り言を言うだけでも満足なんですよ。きっと。
そういう、今まではごくごく親しい友人間とかでしか知り得ないような暗黙知的な情報が共有できる環境ってのは今までなかったですよね。この環境がこれからの社会の意志を形作っていくような気がするんですよね。

そんな感じで、そういう人が発信している情報とマスメディアが出す情報とを、同列に置くかの勢いで攻撃やら批判やらするのはなんか違うんじゃないかなーと思うわけです。

一番危惧しているのは、多様な意見があるという事を認識して、尊重していかなければ、せっかく手に入れつつあるパブリックへ主張できる手段を、自分たちの手で葬り去る事になるんじゃないかなぁという事ですね。

あたらしい言論テロリズムなのか

んーと、のまネコ問題の件なのですが、この件に関しては僕は「2ちゃんねらー」よりの意見ですが、細々とBlogやっている人たちにその影響の悪い部分が派生するのはどんなものかと。

どういう事かというと、世の中Blogブームで、有名人から無名な人までBlogを書いて自分の意見を表に出したりしているわけですが、のまネコ問題に関して「avex」よりの意見を書いた人のBlogが、2ちゃんねるでいわゆる「晒され」、2ちゃんねらーが大挙してそのBlogを訪れ、いわゆる「荒れる」「炎上する」という状態になってることってどうなのかなーと思いまして。

炎上している内容をみると、いわゆる論理的な意見を書かれている方も一部いらっしゃるようですが、ほとんどが人格攻撃というか、そんな感じのコメントばっかりなんですね。
今まで細々のほほんとBlogを運営してきた人からしたらものすごい精神的ショックを受けるでしょう。
もしかしたら、もうBlog書くのをやめちゃうかもしれません。

こういう光景はここ最近よく見かけます。多分Blogが一般化してきたせいでしょうね。
以前はネット上で個人が情報発信するにしても、「ホームページ」的なものだったので、2ちゃんねるのBBS上でそのホームページを取り上げて騒いでいました。この時点で、騒ぎは2ちゃんねるの中で完結していたわけです。
しかし、個人の情報発信がホームページからBlog的なものに移ってきた事で、当事者のサイトで騒げるようになってしまったと。

Blogは意見と意見をつなぎ、発信した意見へのダイレクトな反応が得られるツールであるので、今までの静的なホームページよりも一般の方のモチベーションを高めるのに一役買っているのでしょう。
(最近は更新のしやすさと、SEO的な優位性がある事で、企業ページにBlogシステムが使われる場合も出てきているようで。)

僕も最近Blogをよく見ますが、情報系のメジャーサイトでない限りは、まったりといい感じのコミュニティが築けているところが多いですね。そこはちょっとオープンなプライベート空間なんですよ。多分。


ネットは基本的に誰でもアクセス可能なので、全てがパブリックな環境なのかもしれませんが、情報公開する人は、現実世界においては「PCと自分」の関係なので、プライベートな領域をそのままパブリックに持ち込む傾向があるのかもしれません。
だからネットって、パブリックとプライベートな領域が、現状は非常に曖昧な状況になっているような気がします。

そんな感じで、パブリックへの敷居が非常に低いんですよね。

世の中でBlogを書いている人で、スキル(文章構成だったり、思考だったり)が低い人がほとんどでしょう。
でもなんか世の中に対していいたい事があるわけですよ。誰も聞いてくれていないとしても、パブリックにつながるところでそういう独り言を言うだけでも満足なんですよ。きっと。
そういう、今まではごくごく親しい友人間とかでしか知り得ないような暗黙知的な情報が共有できる環境ってのは今までなかったですよね。この環境がこれからの社会の意志を形作っていくような気がするんですよね。

そんな感じで、そういう人が発信している情報とマスメディアが出す情報とを、同列に置くかの勢いで攻撃やら批判やらするのはなんか違うんじゃないかなーと思うわけです。

一番危惧しているのは、多様な意見があるという事を認識して、尊重していかなければ、せっかく手に入れつつあるパブリックへ主張できる手段を、自分たちの手で葬り去る事になるんじゃないかなぁという事ですね。

2005年10月11日

運動

腰痛がひどくて、左足が痛むのと、
体力があまりにもなくて集中力が続かないのに嫌気をさして
今月よりスポーツクラブに行き始めました。

おじ(い)ちゃん、おば(あ)ちゃんしかいなかったりします。
これが上尾クォリティw

事業経営を志す者として

ソフィアクレイドルの杉山 和徳社長のBlogを見つけました。
事業経営を志す者として、杉山社長のスタンスには非常に共感を覚えると共に、かくあるべきだと思い、ここに紹介させて頂きます。

非常に論理的かつ、哲学的であります。
論理を追求すれば哲学的な思考にたどり着きます。
こういうスタンスの経営者に僕もなりたいです。

ソフィアクレイドル:杉山社長のBlog

2005年10月12日

RSSが侵される

ついにRSSに広告の波がやってきました。
RSS広告社、日本初のRSSを利用した個人ブログユーザー向け広告プログラムを開始

これで情報を効率的に取得できたRSSリーダーも、webサイト同様、広告の波の中から情報を取得すべくユーザーの努力が必要になってくるわけです。

広告自体をRSS配信するのは、システムとして非常に効率的だと思っています。
その方向は全然OKかと。基本的にメインコンテンツを浸食しないからです。

あなたが普段利用しているRSSリーダに広告が入ってきたらどう思いますか?

そもそもRSSリーダーを利用するのは、どういう理由から利用し始めたのですか?

何か最近インターネットの方向性を間違えている(ようにリードする)サービスが増えているように思えます。

あまりにもビジネスモデルが優先しているのではないですか?

そして、インターネットビジネスが発展しているのに、結局は広告というビジネスモデルから抜け出せていないんじゃないですか?

2005年10月13日

楽天*TBS

現状関連している構造は単純にいえばこんな感じか

2005年10月16日

ロングテール論

今後の課題
いかにして既存のサーチエンジンや広告の仕組みを使わずして、適切な情報、商品にたどり着く事ができるのか、また、それを実現する仕組みをどうやって作るのか。

情報は大量にあればあるほど、利用するその人に取って適切な判断の妨げになるのではないのだろうか。

利用できる情報が大量になる→それを判断する仕組みが必要になる

判断された情報を利用する事は、大量の情報を利用できる事の恩恵から離れているような気がする。ぐるぐる回って元に戻ってるだけのよう感じ。


自分が地元で買い物をするとき、候補となるスーパーは数店だ。

ダイエー系列は、他の地域の店も何店か利用した感じでは、品揃え、価格がよくないので、日常の買い物の候補に入らない。

イトーヨーカドー系列はいい物をそろえているので、候補に入る。(チラシチェック候補)

他は魚、野菜、保存品等々、ジャンルにあわせて店を選んでいて、週一ペースでそこで買い物をしている。ほとんどが地元で展開しているスーパーだ。

この判断に至った基準は、
・口コミ
・実際に利用してみた経験
の2点だ。

我が家の買い物は「安くて、(価格の割に)質がよい」が基準だ。
多分、同じ店を利用している人たちはライフスタイルが似通っているのではないかと思う。

同じジャンルの競合店が商品構成をちょっと変えただけで閑古鳥が鳴いている。
以前はにぎわっていたのに!
閑古鳥が鳴くまで、2週間ほどだ。
それぐらい主婦はシビアだ。

おそらく近くにKINOKUNIYAとかあってもその層は利用しないと思うし、近辺にKINOKUNIYAは無い。

(しかしながら、ベンツやBMを地元でやたら見かける。たまにフェラーリも見かける。近所にはベンツとBMとフェラーリの販売店がある!埼玉の田舎なのに。)

(自分が利用するスーパーはいわゆる激安店だったりするが、ベンツでかい物に来る客も結構多い・・・)

もしかしたらこの辺にHINTがあるのかもしれない。

2005年10月17日

インターネットが人間を救う事ができる

若くして亡くなったあるふつーのひと。
彼が死を認識して、それを共有する事で、
彼自身が救われ、また、仲間に人生とは何かを認識させる事ができた。
その時点で、彼の人生は大きな意味を持ったのだと思う。

お前ら!生きろ!死ぬ気で生きてくれ!

2005年10月19日

コーポレートガバナンス

この記事をみて、なるほどな、と思った。
かの人に対する違和感、最近のコーポレートガバナンス論に対する違和感というのが何となくわかった。

「企業は株主が所有するである」これは教科書的に間違いではない。
それでは、「株主」の定義、「企業」の定義とはなんなのだろうか?
株主はもちろん、企業の株式を所有するものである。
企業は株主に利益を還元するために存在するものである。

株主=出資者である。

ここで違和感が生じた。
「出資者は企業に対し、一定の期限で利益を得る事を期待する」ものではないのかな?と。

かの人は、突然出資者になり「明日、利益を出せ」といっているのだ。
それは、今までの出資者が蓄積してきた資産であるわけだ。

つまり、かのひとがやろうとしている事は
「今まで(の出資者が)こつこつと貯金してきたお金を、横からかっさらう」という事なんじゃないかな。

だから、同じ年の7月に筆頭株主に躍り出て、12月に筆頭株主から退く、という事ができるわけだ。

まるで押し込み強盗ですね・・・

本来の資本主義社会では、出資者は配当から利益を得るのが正当なんだと思う。
これをゆがめてしまっているのは株式市場だ。

出資者としての株主、
投機家としての株主、

同じ株主でも、意味合いが非常に異なる。

かの人が表立って「株主の権利」を主張するとき、かの人の立場は出資者としての言葉でなければならない。
しかし、実際はそうではないのだ。

株式を保有する事が原則として1年以上必要である、というような株式市場が出てくればいいのではないかな・・・
投機的な側面が少なくなると思う。
株主にとって、短期的、爆発的な利益は望めないが、資産運用という観点でいえば、比較的安全な資産運用が可能になるのではないかなと思う。
企業にとっても、もちろんよけいな資本リスクを負うことなく、事業に専念できるというメリットがあると思う。

2005年10月20日

インターネット=バーチャル?

インターネット上で展開するサービスやコンテンツをさして、(運営者自身も)バーチャルという言葉を使っている。
バーチャルという言葉を調べると、「仮想の」という意味が出てくる。
virtualという言葉を英和すると「事実上の」という日本語に訳される。
ただし、virtual XXXXXという組み合わせで使うとやはり「仮想XXXXX」という訳になる。

日本語で使うバーチャルという言葉、非常に曖昧で便利な使い方をしている。
得にサービスの提供側が自分のサービスを「バーチャル」と称している場合に、関係性の所在を曖昧にするような効果があるように思える。

バーチャルであるか、バーチャルでないか。たとえば商店をもって、その違いを比べたとき、
お客さんと店員が対面しているかいないか、実際に商品を手にとって見るか見ないか、の違いでしかない。
そうなると、nissenやベルーナのような通信販売もバーチャル店舗になる。
バーチャルかバーチャルでないかの違いは限りなく小さい。

コミュニティサイトを考えてみる。
コミュニケーションのベースは言葉のやりとりだ。
それはインターネットであろうと、合コンであろうと変わらない。
ただ、直接対面するコミュニケーションは、相手の表情、仕草、声のトーンという副次的な情報が非常に大きな要因を占める。
その情報が少ない分、ネット上のコミュニケーションはハンディキャップを負っているといわざるを得ない。
※だからネット上ではしばしば感情的な論争の場になったりするのだろうか。

しかし、既知の間柄であればスムーズなコミュニケーションは可能なのだろう。
ずいぶん前から(それこそインターネットが一般に普及する前から)テレビ電話の仕組みはできているが、
未だに一般の人が積極的に利用する状況にならない。

じゃぁ、バーチャルかバーチャルじゃないかの違いとはなんなのだろうか?
答えは相手に対する想像力が欠如しているか、していないかなのではないだろうか。

その場をバーチャルだと思う事は、コミュニケーションの手抜きをしていい場所だ、と意識下で認識しているような気がする。
実はそんなシチュエーションはインターネット上でなくてもしょっちゅう存在する。

コミュニケーションに対する不誠実さだと思う。

バーチャルという言葉、少なくともサービスの運営者側が口にすべき言葉ではないのかもしれない。

2005年10月24日

カメの歩み

独立して1年目はとりあえず日銭を稼ぐ事をやらなければならないと思い、そのように行動してきました。
どんな仕事でも安くても受けるようにしていました。空いた時間を埋める事に専念してきたのです。
そうこうしているうちに、徐々に時間が埋まるようになってきました。
しかし、うまく資金を回収できないというトラブルも経験しました。
仕事をしても資金繰りが回らないとどうしようもありません。

2年目はいかにして売上を上げるかを考えるようになりました。
基本的に受託開発が収益のメインであったので、とる方法は2つでした。
・単価を上げる
・数をこなす
このうち、単価を上げるに関してはなかなか簡単にはできるものではありません。
自然と数をこなす事が多くなりました。
一月に3件の開発案件を抱え、早朝から深夜まで開発ばっかりやっている事もありました。
2年目は数をこなしましたが、このままでは体をこわすだろうなぁと思いました。

3年目は収益を得る仕組みを作る事を目標にしました。
仕組みと作るという事は、一時的にこれまでの受託の仕事ができなくなります。
初めは収入が途絶えそうになりました。
仕組みを作ると意識しながら行動するうちに、徐々にそのような流れができてきました。
そういう行動に協力してくれるパートナー的なおつきあいができる人も出てきました。
お客さんとの関係が、これまでの、発注:受託の関係ではなくなってきました。
なぜか、受託開発の見込み案件も増えて来ているように感じます。

頭のいい人、センスのある経営者は、僕の3年目のステップ、さらにそこから先のステップに初めから行く事ができるのでしょう。
でも僕はスタートから経験していかないと気づかない性質のようです。

よくよく考えると、1年目、2年目のステップというのは、僕が前職で経験している事でした。
ただ、そのときはなぜ、そういう指向で動かなければならないのか、という事が本当の意味で理解できていなかったのだと思います。
守るべきものがあり、後に引く事ができない状況で、実感として理解する事ができたのです。

世の中の華やかなITベンチャーとは違いますが、きっとこれからもこんな感じで前に進んでいくんだろうなぁと思います。

という微志録。

2005年10月26日

P2Pと映像業界

昨日は映像関連の事業をやっている友人と久しぶりに、飲んだ。
そこで、P2Pについて、僕は技術的な側面から、彼は業界的な側面から話す事ができた。
技術的な考え方から見れば、P2Pはコンテンツ流通技術の一つであり、現在のサーバクライアントシステムのように流通事業者に高いコスト負担を強いない、ある意味理想的な構造だと思うわけです。
しかしながら、業界的な考えから見ると、P2Pは非常にやっかいな代物らしい。
業界(というのも曖昧な言い方だが・・)的にはP2Pは忌み嫌われている。
日本の音楽業界は現在売上規模が15年前の状況に戻っているそうだが、P2PがA級戦犯だという認識のようだ。
※ただし、世界的には市場規模が大幅に落ち込んでいるという事はない。
※本当の原因は日本のコンテンツ提供能力、消費対象の多様化などがあるように感じるのだが。

ただ、そういういいわけを与える余地があるのが現在のP2Pということだ。
結局の所、一番のキモは著作権等の権利関係の管理をどうするのかというところにつきるらしい。
P2Pで流通してしまっている音楽データはJASRACの管理外である。映像業界はその轍は踏まないようにかなり慎重になっているようだ。

権利関係の処理は、技術と構造で満足行くものは作れるに違いない。
ただ、作れたところで、それが業界的に認知されるまでは時間がかかりそうだ。
※本当は、業界の権利構造で、しかるべき人たちに資金が流れるようにする、というのが重要なのかもしれないが。やくざな世界だし。

現在、日本で映像配信を積極的に行っているのはGyaoであるとか、yahooであるとか、新興のインターネット企業であるが、
ここら辺は、自社でコンテンツ提供事業者をもっていたり、提携関係でいたり、とのことで、権利関係がスムーズに解決する映像を流しているという事だ。また、ビジネスモデルも、コンテンツ自体に課金するというものではなく、広告モデルが基本になっているので、大規模配信が可能だという事だ。コンテンツを販売する、という課金モデルの形ではそうはいかない。

結局は、権利=お金の回収、さぁどうする?という事なのだろう。

P2Pではないが、音楽業界で成功しつつあるAppleを考えてみる(このビジネスモデルを作ったのも違う業界の企業だなぁ)
よく見て、Appleが行っている音楽関連ビジネスは、ipodとitunesの戦略が相互に影響している事がわかる。
1.itunesで資金回収モデルを作ったわけだ。
2.ipodでitunesを利用する市場を拡大させる。
後は1,2がぐるぐると回っている。

市場があり、お金が回収できる状況になれば、コンテンツ提供者はその市場に乗ってくる。
既にインターネットの音楽販売ビジネスはAppleの一人勝ち状態になっている。世界的に。
この流れは必ず映像の分野にもやってくるし、Appleは既にその布石を打っている。

日本の業界はインターネット、及びP2Pが出てきた時点で、次の市場を考え、創造するチャンスがあったわけだ。
でも、結局業界構造に固執したあげく、外資系の企業に利益を持って行く構造に参加せざるを得ない状況になりつつある。

ただ、これからはコンテンツ提供者と消費者の垣根は限りなく境目がなくなっていくだろう。
そうなった場合、既に業界の権利構造として全てを管理できるものではない。

次に何らかのブレークが起こるとき、それはやはり業界の企業ではないのだろうなぁと思う。

2005年10月28日

みそじーず

今日、ついに三十路になりました。
この10年間はその前の10年間と比較すると、
相当にいろいろな経験ができました。
今後の10年間は、その経験を元に、何か社会に問うような動きができたらと思います。

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