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情報リテラシー

香田さんがイラクで殺害されたが、その殺害様子の映像がネット上で広がっている。

インターネット化、ブロードバンド化が進み、情報発信、映像発信が非常に身近なものになりつつある。

インターネットが一般化するまえ、この技術は「個人へのパワーシフトだ」というイメージを持たれていたと思う。
数年が経過して、それは一部正しかった。

弱いものが主張でき、世の中を変える力となる、そういう考えでは今回のテロリストのような使い方も正しいのかもしれない。
しかし、ここまでネガティブに情報発信をする必要があったのだろうか。
このような行為は、自己満足であり、世の中を変える事なんてできっこない。

今回の件でわかった事がある。
情報は発信する側にこそスキルが求められるという事だ。

現在、ブロードバンド化の流れの中で、個人の流す映像、情報に触れる機会が広がっている。
初めてそれに触れたとき、私たちはどういう態度を取るか。
その情報は、自分とは離れた世界であり、何らかの権威付けがされており、信用に足るもの、として見るのではないだろうか。
これは今まで触れてきた情報が、新聞、ラジオ、テレビ等々、何らかの署名の上に加工された情報しかなかったからだ。
しかし、これからもっと一般の人が加工されていない情報に触れるにつけて、
情報に対する見方というのが今後変わっていくものと考えている。
見る人に一番重要なのは、自分のスタンスだ。
付随して、情報を多角的に判断出来るソースをどれだけ持っているか、というスキルも求められるだろう。

そして、発信する側のスキル。
たとえば映像の場合、現在はその存在のみで権威づけられて情報が流されている。
しかし、今後それが無意味になるとしたら自分の主張をどう権威づけて、信用に足るものにするか。
それが重要だろう。
たとえば、情報を発信する個人の権威付け、組織の権威付け。結局は既存のメディア的なものに近づくのだろうか。

自分の主張を社会に認めさせ、変革を促すには、そういう事も含めストーリーを作る能力も重要だ。
少なくとも、どういうターゲットに対して、どういうアクションを起こしてもらいたいかという事は想像しなくてはならない。

他にもいろいろと考えなければならない事がたくさんあるだろう。

ただの事実の垂れ流し、ショッキングな映像。人の感情に訴えかけるかもしれないが、何も変わりはしない。
結局は情報の洪水の中で埋もれてしまう運命に過ぎない。

テロリストは、世の中を正しい方向に変える事ができたのだろうか?
日本人が死ぬという映像を日本国民に流すという事はどういうことかわかっているのだろうか?
大統領選直前のビンラディンの映像は、その意図とは逆にブッシュ陣営に有利に働いているようじゃないか。


ほんの数年前、僕はこういう使い方をまったく想定していなかった。
ポジティブな手段として活用する分にはかまわない。
せっかくのパワーシフトを、このようなくだらない使い方をして欲しくない。
結局それは弱い僕らの首を絞める事になる。

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2004年11月03日 08:47に投稿されたエントリーのページです。

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