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2004年10月 アーカイブ

2004年10月04日

日記より2

夕方から未来の面倒を見つつ、
義父を誘って焼き肉へ。

久しぶりに面白い話をしたなぁ。
企業の話、経済の話、株の話、社会の話、教育の話。

結局、その話で大事だなぁという事になったのは、
歴史教育だな。

つまり、目標とする人物がいないという事。
日本の歴史も振り返ってみれば目標とする人物がいないわけはない。
ただ知らないだけだ。

今の日本の歴史教育はあまりにも時系列を負った教育しかしていない。
よく言われている事ではあるが。

つまり、骨だけ教えて肉付けが足りないんだよな。
それで、あまりにも「歴史」の授業が面白くないから嫌いになるやつが増えるわけだ。
「社会」という教科があるが、これは
「歴史」とか「地理」とか「公民」とかいろんなジャンルにわけて教育している。

今の受験教育ではその全てを勉強することはない。
僕と義父の一致した意見は、「歴史」以外の社会の科目はいらないという事だ。

その代わり、歴史教育に、地理、公民の要素を肉付けしていく。
それで全て勉強出来るな。

それと、新たに設置したいのは「人」という科目。
たとえば
「坂本龍馬と近藤勇」とか
「孫正義と奥田碩」とか。
小説で面白いのは、人の生き方、考え方。歴史で起こった事象なんかは、その行動の結果に過ぎないわけ。
人を通して学ぶ事で、歴史が生きてくるんじゃないかなという感じ。

はっきり言ってさ、理科とか社会とか、学校の勉強が嫌いなやつは、想像力が無いわけよ。
「AとBならCになる」って教えるけど、
「じゃ、あいつとあいつが仲がいい(悪い)のはそういうわけね」という感じで想像出来ると
勉強ってすごい面白いわけよ。

ただ、想像するリソースとか、想像する方法とか、そこを教えてないわけよ。

本当は学校で勉強する以外に本をいっぱい読んだらいいと思うけどね。


ナショナリズムという事じゃなくて、歴史教育は本当に重要よ。
歴史は知識じゃなくて、考え方なんだよなぁ。

※この記事は芥川が日々つけている日記から転載しています。

2004年10月12日

家庭と仕事

つい最近、家庭と仕事について考えさせられる事が立て続けにあったので、いろいろ考えていました。

きっかけは、ある飲み屋さんでお会いした初老の方のお話。
その人は入店してきたときから「むむっ」とした「匂い」を醸し出していた人で、
ちょっと話してみたいなと思ってたんですね。そしたら、その人から呼び出されていろいろと話を聞かせてもらう事ができました。
「大事なのはな、1.嫁さんを大事にする事。2.いい女にときめく事。3.家庭を大事にする事」
要約するとこんなお話。酔っぱらっていたせいもあったかもしれませんが、非常に心に響きました。

そして、週末図書館で借りた「神田昌典 成功者の告白 5年間の起業ノウハウを3時間で学べる物語 」という本。
神田さんというのはいわゆる成功本なんかをいろいろ出しているので、うさんくさいなぁなんて敬遠していたのですが、
この本はいい話でした。失敗しない起業=幸せな起業、とでも言いましょうか。とにかく、家庭と仕事は離れた物ではなくて、
お互いが影響を与えあうものだ、ということを強く強調していました。
ストーリー仕立ての本ですが、非常にストーリーも良くできており、最後は思わず泣きそうになりました。
もちろん、本当に3時間で読めてしまいました(笑)

忙しくなってくると、僕も家庭に余り関わらなくなります。
今は仕事の量もそんなに多いわけではなく、家庭の時間もバランス良く作る事ができてい(ると思って)ます。
そんな僕も、なんのために仕事しているんだ?とふと思う事があります。

もちろん、自分の夢のためや、お客さんのためや、家族のため、というのはあります。

それは大きな理想でもありますし、決して忘れてはいけない部分でもあります。
でも、その感情は同じ言葉で全然違う物になるかもしれないんです。

「自分の夢のため(にやってやってる)や、お客さんのため(にやってやってる)や、家族のため(にやってやってる)」

うわ!これ最悪。押しつけがましい!!

起業したのに、いつの間にか主体が外部に変わってしまっているわけです。
これはおかしいです。でも、ともすればそういう考えに陥りがち。サラリーマン時代はそんな考えを持っていたかもしれません。

あくまでも主体は自分。そして、起業する事はいろんな人に迷惑をかけている事なんだ、という事をきちんと認識しなくてはならないです。
そういうように考えると、関係する全ての人に感謝の気持ちをもてるように思えます。

2004年10月18日

ちょっとリニューアルしました

このサイトをちょっとリニューアルしました。
お知らせコーナーには、特記事項を載せたいと思います。

2004年10月27日

一人会議

Netsket今後のビジネス展開についていろいろと考える。

一人で集中して考えると細かいところが見えてくるし、本質が見えてくる。
特に、仮定を考えるときは、一人で集中がすごくいい。
一人で考える、といっても、頭の中では複数の人格になっていろんな意見を忌憚なく言っている。
時に、お客様の意見、時に、経営者の意見、時に、パートナーの意見。
お客様、といっても、老若男女様々な人が、僕の脳内会議を彩る。


ちょうど夜、三宅裕司がテレビで言っていた事があった。
「演劇を考えるとき、みんなでブレストしたらすごくいいものができるのではないか、と思ったが、ろくなものができなかった。
結局自分で集中して考えたものはよほどすばらしいものができた。」

一人で考える、と言う事はクリエイティビティにつながるらしい。
そもそも、一人で集中すると言う事は、創造性に関わる脳波が出るらしい。

「現代は情報過多で、それを租借して考える時間が取れない」というような事も言っていた。
なるほど。一人というのは貴重な資源だ。

考えてみると、今までいろんな会議に出たが、そこでクリエイティブな展開を見せる事はほとんど無かったな。
だいたい、無難な展開に落とし込まれてしまう。
ただ、すりあわせをした事による、チームの満足感というのはあったが。
結局、それを実行する時には、誰が主体になるか、と言う部分でなぁなぁになってしまって、
ほとんど嫌々誰かがそのプロジェクトの執行役をやっていたように思える。

会議のメリット、会議の役割ってなんなのだろうな。
合議を取って責任を曖昧にする、という事は、もしかしたら意識的にそうした方がいい、というときには役に立つかもしれないな。

そもそも、会議という場において、意志決定を求めてはならないのかもしれない。
コミュニティ論でも、最終的に意志決定(方向性の選択)を行うのは、舵取りをする人間だ。

意志決定の素材として、会議が存在するのはいい事なのかもしれない。
有利な点、不利な点を「参考意見」として伺うわけだ。

参考意見を取得するのに会議は必要なのか?議題を投げてメールで受け取ればいいんじゃないの?
とかなるかもしれないが、会議は「議」という言葉がついているだけあって、
様々な人の意見、考え方に触れて、自分の理解、意見を昇華するという作用はあると思う。
(僕は酒を飲みながら人と離しているとき、それを強く感じる事がある)
そういう意味で会議は有用なんだろうな。


最終的にはリーダー(に値する人)が決定を下すという事だ。
できる企業(に限らず、何らかの意図を持った集まり)は、自然とそれをやっているようにも思える。

※最近更新が遅れがちなのは、Netsketサイトのリニューアル準備をしているからです。
 デザインは大差ないかもしれませんが、よりアクティブなサイトを作る予定です。
 やったるでー

2004年10月28日

独り言

はっ。

何もわからんくせに。はったりこいた人生だ。
経験がだいじなんだろ。うん、わかってるよ。

ただよ。いろいろと意見出来るようになったさ。
それも大事な事だろ。
感じているんだよ。
想像しているんだよ。

そういう事ができるように、年月がそうさせたんだよ。

何も言えない、何も考えない。それは死んだ事だよ。
その場に流されない。でも流されている。大きな潮流だ。


選択しているようで、実は生かされているんだ。
それはわかってる。

いつ羽ばたくんだ?


俺はいなかもんだから、遅いんだよ。

そう思ってる。

アヒルは白鳥になるんか?

いや、アヒルはアヒルだろ。
大きくなって食われるだけだ。

俺はまだ食われる肉も付いてないけどな。


いつかきっと、いつかきっと


そう言い続けながら、月日を重ねてきているんだ。

それでも前進を止めるつもりは無いよ。

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